Life goes on
みんなそれぞれに思うことがあって
みんなそれぞれに悩みを抱えていて
みんなそれぞれに野心があり
みんなそれぞれに妥協がある
くよくよ考えることもある。
ときには道に迷うこともある
自身を失って、歩みを止めてしまうこともね
それでも、
それでも人生は続いていく
Life goes on!!!!
ggrks!
パソコンを使うのが苦手だった。
windows95がヒットし、インターネットの普及率も高まってきた1995年頃
パソコン、インターネットといったIT技術にはまったく縁のない人生を送っていた
ネット上にある膨大な情報を検索したり、通販で買い物、CDやDVDのコピー等便利な機械だなぁという程度にしか思っていなかった
時が経ち、ネット普及率も50%を越えパソコンスキルを持っていると就職の際に有利になるといった風潮があった頃、俺はあるソフトウェアに出会う
米国のアドビ社がつくった「イラストレーター」なるドローイングソフトだった
絵を描くのが好きだった俺は、それまでアナログな手法で描く事しか知らなかった
そこにきてデジタルな手法で絵を描く事の凄さに衝撃を受けた
単純に、何度でもやり直せる ってところだけだったが、、、
そしてパソコンを触るきっかけを手に入れた俺は、どんどんその世界にハマっていった。と、言っても世間一般のパソコンの使い方と同じで、クラッキングをして情報を盗み出したりといった特にすごいことをしたわけではない。
パソコン教室などに通うこともなく、自宅に置いてあったWindowsXPで独学で覚えていった。
少し詳しいと思っていた友人に最初に聞いた質問が、 「アンイストール、ってなに?」 だった。
その答えが 「インストールをアンすることやろ」 と言われた覚えがある。
その友人はけして詳しくはなかったのだ。
パソコンを使っていてなにか壁にぶつかる度に、詳しいと思える知人に質問して回っていた。いつも的確な答えが帰ってくるとは限らない。
だが、俺は気づいた。
今目の前にあるパソコンに聞けばいいじゃないか。
そのパソコンの中に立派な先生がいるじゃないか。
そう、かの有名な グーグル先生 だ。
何かわからないことがあればすぐに先生に質問した。
先生の答えは専門用語も多いのですべて理解はできない。
知らない用語が出てくる度に先生に質問を投げていた。
目的の答えに辿り着く前にかなりの遠回りをすることがほとんどだった。
だがそうしていくうちに様々なIT用語を理解していった。
パソコンに触れるようになって10数年経つが、まだまだわからないことが多い。
今でも日常的に先生に質問している。
わからない事を他人に聞くことは恥ずかしいことではない。
その方法が重要なのである。
自分では何も調べることもなく、最初から丸投げして他人に委ねるのはどうかと思う。
聞かれた立場の側としては、「まずは自分で調べてみろよ」と思うだろう。
これをggrks!と表現する。
わからないことはまず自分で調べてみる。
そう、 ググれカス! なのだ。
keep one's cool.
2018年9月某日
毎月定例の会社での食事会がある。
役職者が近隣の飲食店に一堂に会し、それぞれの部署の課題や愚痴なんかを酒を酌み交わしつつ話し合う会食だ。いわゆる”飲みにケーション”である。
酒も進み、程よい感じで宴も酣な頃合いで東日本エリアを取りまとめている本部長より、周囲に気遣いをした感じで耳打ちされた
「で、いつから行くの?」
もう、ここまで情報がリークしているのか。。。
「いやぁ、まだまだ未定の部分が多いので早くても来年の春以降ですよ~」
なんて、軽くあしらった。
自分で口に出して思ったが、そうなんだ。
早ければ来年の春には赴任することになる。
同じく常務からは 「パスポート取得しといて、11月に現地視察に行くから」 と言われた。
なにも、まったく準備ができていない。
心の準備が少しできたかな、といった状況だ。
週が明けて、ランチタイムをよく一緒に過ごす総務部長から同じように周囲に気遣いをした感じで耳打ちされた。
「聞いたよ。 今の時点で明確にしておきたいことや質問があれば纏めておいて」
さらに情報のリークは進んでいるようだ。
会社としてもはじめての取り組みなので、過去の事例がなくどのように動けばよいかわからず顧問社労士に確認をとっているといった状況らしい。
いよいよ本格的に動き出したようだ。
総務部長がこう言った。
「でも、あんたよく引き受けたね。。。家族のことや家の事もあるのにね。
すごいね~」
この言葉をどう受け止めれば良いのだろう。
「よく引き受けた」
なんかそう言われるとすごく不安になってくる。
海外赴任を甘くみているのだろうか?
気軽に考えすぎているのだろうか?
価値観は人それぞれなので、この総務部長からするとすごいことなのだろう。
少し、ほんの少しだけ自分の決心が揺らいでいることに気づいた。
怖くて不安になるし、残していく家族のことも心配になる。
失うものも少なからずあるはずだし、それがなにかもはっきりわかっていない。
若かりし頃、ワーキングホリデー制度を利用して海外に一年間旅立つ時は微塵も感じなかった不安感だが、この歳になり守るべきものや責任が増えるとこうも違ってくるものかと痛感している。
自分に都合良く、海外赴任の良い面にしか目を向けないようにしていた。
悪い面を少しでも考えてしまうと決心が簡単に崩れ去ると思ったからだ。
外部からの些細な一言で、こうも簡単に気持ちが揺れるなんて。。。。
冷静になれ。
前だけ向いていれば良いんだ。
これから押し寄せてくるであろう、劇的な環境の変化に無理に抗うことなく、その流れに身を任せていこう。
そうやって揺らいだ決心をもう一度固めつつ歩き続けることが大事だ。
Keep on growin' !
2018年8月某日
およそひと月ぶりの出張。
今年に入ってから新しい部署への配属となり、これまでほとんど無かった出張をする事が増えた。
おかげで行ったことのない土地へも何度か訪れる事が出来た。 仕事とはいえなかなか楽しく刺激的だ。いつも同行する役員の方の人柄が良いのも功を奏している。
今日は不定期に行なっている、社内研修の講師として関西方面に赴く。この出張も数えるところ10回は超えただろうか。
早朝に自宅を出て、始発の電車と高速バスを乗り継ぐ道程にも慣れたものだ。
夏休みももう終わりに近づいた週末という事もあり、バスの待合室はいつも以上に混み合った印象を受ける。同じバスの乗客も十代以下の子供が多い。バスの終点が関西で最も有名なレジャー施設という事もあるのだろう。浮かれた楽しい雰囲気が伝わってくる。
俺の住むところは四国のとある地方都市。
人口40万人程の中核市だ。
のどかな田舎街で自然も多くてそこそこに物流も発展しており、暮らすには不便を感じない程度の環境と言える。 とはいえ、月に一回程度の出張で都市部へ行くとやはり田舎の物足りなさを感じる事がある。
今回訪れる都市は人口150万を超える政令指定都市の一つである。
目的地のターミナルに到着し、バスを降りると行き交う人や車の多さに都会の空気感を感じる事ができる。それだけで気分は高揚し、日常から抜け出した錯覚に陥る。
ふだん本社勤務で自宅と会社の往復だけの日々を過ごしていると、感覚は鈍り衰えていくのみだが、こうして新しい風を取り入れることで感覚はリフレッシュし、中身もアップデートされていく。 これがすごく大事なことだと思う。
強いて言えば、一年に数回は東京へ出向いて見聞を広め、大幅な自己のアップグレードを図るのが良い。
ヒトは命ある限り精神的に成長し続けるいきものだと思う。
よく妄想するのだが、仮に不老不死を手に入れたとして永遠に精神が成長し続けるとすると、果たしてヒトはどのような精神状態、価値観や考え方になっていくのだろうか。
何千年、何万年と生き続けていくうちに世の理を理解し、所謂「悟りをひらく」状態に行き着くのだろうか。それともそれすら超越していわば「無の境地」に辿り着くのだろうか。仮にそうだとすると、無の先には何が見えるのだろう。精神が成長し続けるとしても無の境地の先に行き着くまでその成長を続けるのだろうか。それともそこで成長は止まってしまうのだろうか。
成長することも衰退することもなく、死滅することもない。
もはやそれは生き物と言えるだろうか。ただの有機物でしかないのではないだろうか。
形のあるものはすべていずれは無に還る、というのが世の理だとすればそれを超越する不老不死は、理すらも超越しまったく別次元の世界へと昇華していくのだろうか。
なんの生産性もないただの妄想もここまでくると病気じみてくる。
そんなことを考えながら、通勤特急が来るのを駅のホームで待っている。
今日は台風一過で連日の酷暑が嘘のように、爽やかな残暑となった。
今回の出張を通しておれはどんな新しい風を取り入れることができるだろう。
Keep on growin'!!!
新事業という名の臭い飯
2018年 8月某日
我が社の社内イベントでもあるビアガーデンの日を迎えた。
今回は、周年パーティでもお世話になった地元の結婚式場で行うようだ。
料理が美味しいことで定評のある結婚式場なので楽しみだ。
だが、今回はただうまいビールと料理を楽しんで同僚達と上半期を省みるというようにはいかないようだ。
うだつの上がらねぇ”平民出”に降って湧いたチャンス。
まだはっきりと家族の了承も得ていないので、例の役員には何も返事をしていなかった。
ところが、その役員はおれが話した「事業内容にはとても興味がある」という部分だけを強調したうえで社長に報告していたようだ。
社長はその報告を受けて、直接俺と話がしたいと仰ったようだ。
そこで急遽、この社内イベントを利用して一席設けたようだった。
~~~~~
「適当な頃合を見て、声かけるからよろしく」
役員はいつもの嫌な笑みを浮かべて、軽くそう告げるとビアガーデン会場の雑踏に紛れてしまった。
いつものように社長による乾杯の挨拶のあと、ビュッフェ形式の会場ではご馳走にありつこうとみんな会場中心にある食卓に群れをなして押し寄せている。
俺もその波に乗るべく、お皿片手に列に並ぶ。
適当な料理を取り席に戻って同僚と他愛もない会話をしているところに、突然の収集がかかった。
まだ始まって10分も経っていない。もちろん料理には殆ど手をつけていない。
適当な頃合の基準がわからなくなった一瞬だった。
社長、役員とともに会場外にあるレセプションの一角に席を取る。
俺以外は既にそこそこ酒も入って饒舌になっている印象があった。
まだ10分ほどしか経っていないというのに・・・
軽い会話のあと、すぐに本題に入る。
そこからおよそ2時間。
ビアガーデンの予約時間が終了した事を幹事から告げられるまで、社長と役員の熱い語りは続いた。
その2時間に及ぶ話のなかで、俺はすっかり”その気”になってしまっていた。
それはもうさながら、街角で勧誘されて高価な商品を契約してしまう地方から出てきたばかりの若者並みだった。
”鉄砲玉として1年半、いや2年臭い飯を食ってこい!戻ってきたら幹部として迎えてやる”
どっかのVシネマに出てきそうな話だ。
そして新事業の内容はこうだった。
民主化により外資の流入が激しく、急激な発展をしているミャンマーに於いてビジネスの種が芽吹く環境が十二分にある。
これからはASEAN地域を拠点にビジネスを拡充していきたい。
その足掛かりとしてミャンマーで学校事業を始める。
現地で日本語を教え、PCオペレーターを育成する学校の立ち上げをしろ。
上場企業のR社と共同で進めていくため、R社の外部役員として出向してこい。そこで上場企業の経営ノウハウを勉強し、我が社に持ち帰れ。
と、いうことだった。
その2年のお勤めがうまくいけば、社内に「海外事業部」なるものを立ち上げて、俺をその部署の管理者としていくという将来のビジョンもあるようだった。
事前に役員からは大まかな内容を聞いてはいたが、実際に社長より直々に話を伺うとより一層魅力的に思えた。
もうこのときに心は決まっていたのかもしれない。
心の中では本当にワクワクしていた。もちろんそれに負けないくらいの不安もあったが。
俺のサラリーマン人生が変わる!
正直、素直にそう思えた。
キャリアはもちろん、スキルも。もしかすると収入面でも大きく変わるかもしれない。
いや、そこは変えていきたい。
LANDROVERのアレを所有するのも夢じゃなくなったかもしれない。
今年のビアガーデンはうまい酒も料理も堪能できなかったが、それを遥かに凌ぐものを得た気がした。
早速、うちに帰って妻に報告しよう。
会場出口で二次会に向かう団体を尻目に駐車場に向かうと、颯爽と車に乗り込み自宅までの道のりを急いだ。
帰って無事に報告が済めばデッキでビアガーデンのやり直しだ。
きっかけは突然に…
サラリーマンなんて自分には向いていない。
ずっとそう思っていた。
手に職をつけて、職人気質でやっていくもんだと思ってた。
高校も地元の工業系を選び、卒業したら進学せずにそのまま地元で就職した。
将来こうなりたい、といったものもなくただ毎日を惰性で過ごしていた。
紆余曲折を経て、今の会社と縁がありサラリーマン人生を歩み始めて早や10年。
経験のない営業職で、いろんな壁にぶち当たり、様々な人達の助けもありなんとかここまでやってこれた。
中間管理職のポストを与えられ、自分なりに努力はしてきたつもりだが、これといった成果を出すこともなく、鳴かず飛ばずで7年が経った。
一度は降格の話もあった。元は部下だった人間が直属の上司になっていたり。
出世とは程遠いサラリーマン人生を送っていた。 その日までは…
何も代わり映えしない日常、きっかけは突然に訪れる。
普段、話をする事もない役員がこちらを見据えて近づいて来る。
「海外に興味はないか?」
仕事を無茶振りする事で、社内でも有名なその役員から出た一言だった。
要約すると、新しい事業を興したいが誰もそれをやりたがらない、お前はどうだ? と言う事らしい。
誰もやりたがらない理由は、その事業を海外で興すからだった。
その国は、 ミャンマー。
長年続いた軍事政権から、つい最近民主化された東南アジアの発展途上国のひとつ、あのミャンマーだ。
アウンサンスーチーさんの解放や、ロヒンギャの難民問題に揺れているあのミャンマーだ。
誰も行きたがらない理由がわかったような気がする。
決してミャンマーという国をディスっているわけではない。
そもそも、訪れたことも無ければそれまで興味をもったことすらなかった。
ディスるような資格はないのだ。
だがなんとういうか、勝手なイメージというか先入観だけであまり良い印象を持っていなかった。 生活水準、衛生面やその他諸々、、、
役員から、その新たな事業の大まかな内容について説明を受けた。
その内容はとても興味深く、チャレンジしてみたいという意欲に駆られるものだった。
ただ、ミャンマーという未知の異国の地。
そして俺には何よりも代え難い、大切な家族がある。
海外赴任・・・ 家族を連れて? 単身赴任?
その場ですぐに答えることはできない。
役員には、とても興味深い事業内容であることは伝えたうえで家族にも相談したい、という旨の返事をする。
役員も「そりゃそうだろう。家族としっかり相談してくれ。是非、前向きに考えてほしい」ということだった。
「うだつのあがらねぇ平民出にやっと巡って来た幸運か、それとも破滅の罠か。」
クロトワ参謀の名セリフが頭の中で再生される。
俺のサラリーマン人生にとって一大転機が訪れた。
このチャンスを活かすも殺すも自分次第。
慎重に決断しなくてはならない。
なんて、堅いことは考えもしなかった。
「やっと、きたか!」というのが正直なところだろう。
不安な気持ちが無いわけではない。
それよりもワクワクする気持ちが先走っていた。
帰宅してその日のうちに、この一件を妻に打ち明けた。
妻の最初の反応は、、、、
「え!? ミヤンマー?? ・・・・あんた、病気になるで」
これは暗に反対ということだろうと感じ取った。
そりゃそうだろう。まだ下の娘は幼稚園の年中さんだ。
神戸への2~3ヶ月の単身赴任でも、その間家の事を任せきりにして妻には負担をかけてしまった。 それが今度は海外となると、そう簡単に賛成はできないだろう。
デリケートな話題なので、慎重に進めていかねば、、そう思っていると次に妻の口から出たのは、、、
「それって、、、出世ってことやろう?」
” 亭主元気で留守が良い ” 持って帰る給料は増えて、亭主の世話は減る。
専業主婦にとっては、これが一番なのだろう。
だが、はっきりと賛成の意志を示すことなくその日は会話を終えた。
家族の理解と協力なしには海外赴任は難しいだろう。。。
いろいろと解決すべき課題がありそうだ。